
妊娠悪阻を抑制する薬が、膵臓がん患者を救う

濱元誠栄院長こんにちは、銀座みやこクリニック院長の濱元です。
つらい『つわり(妊娠悪阻)』と、難治がんの代表である『膵臓がん』
一見、まったく無関係に思えるこの2つに、実は“共通の黒幕”が潜んでいることをご存知でしょうか?
その名は「GDF-15」
この物質が、がん患者さんを深刻な栄養失調(がん悪液質)に陥らせるだけでなく、がんが免疫から逃れるための“隠れ蓑”にもなっている可能性がわかってきました。
そして今、このGDF-15を標的にした「抗GDF-15抗体薬」が、膵臓がん治療に革命を起こすかもしれないと、大きな期待が寄せられています。
この記事では、その驚くべきメカニズムを解説します。
共通の黒幕「GDF-15」とは?
GDF-15は、私たちの体が強いストレス(炎症、酸素不足、細胞のダメージなど)を感じた時に、細胞から分泌されるタンパク質の一種です。「SOSシグナル」のようなものだとイメージしてください。
しかし、このシグナルが「過剰」になると、GDF-15は厄介な二面性を見せ始めます。
- 脳への作用(食欲不振・吐き気) GDF-15が血流に乗って脳(脳幹)に到達すると、「今は危険だ、食べるな」という強烈なシグナルを送ります。これが食欲不振や吐き気の直接の原因です。
- 免疫への作用(T細胞のブロック) がんの周囲では、T細胞という免疫の「兵隊」ががんを攻撃するのを妨害する「バリア」のような働きをすることが示唆されています。
【点と点をつなぐ】なぜ妊娠とがんに共通するのか?
では、なぜこのGDF-15が「妊娠悪阻」と「膵臓がん」の両方に関わるのでしょうか。
ケース1:妊娠悪阻(つわり)
妊娠初期、胎盤が作られる過程で、このGDF-15が一時的に大量に分泌されます。この急激な増加に体が慣れていないため、脳が過剰に反応し、重いつわりの症状(妊娠悪阻)を引き起こすのです。
ケース2:膵臓がん(がん悪液質)
一方、膵臓がんをはじめとする多くのがん細胞は、生き残るため、そして自らを“ストレス下”にあると認識するためか、GDF-15を恒常的に大量に産生し続けます。 これにより、患者さんは持続的かつ強烈な食欲不振に襲われ、「がん悪液質(あくえきしつ)」と呼ばれる深刻な状態に陥ります。
なぜ「がん悪液質」は恐ろしいのか?
がん悪液質は、単に「痩せる」ことではありません。
食べられないだけでなく、体がエネルギーを正常に利用できなくなり、脂肪と筋肉が一方的に消耗していく、複雑な代謝異常です。
その最大の恐ろしさは、これが「がん治療の継続を不可能にする」点にあります。
どんなに優れた抗がん剤や治療法があっても、患者さん本人に耐える「体力」がなければ、治療はできません。悪液質は、その土台である体力を根こそぎ奪い、治療の選択肢を狭め、予後を著しく悪化させるのです。がん患者さんの死因の約2割は、この悪液質が直接関連しているとも言われています。
*(非小細胞肺がん、胃がん、膵がん、大腸がん限定)がん悪液質の治療薬として、エドルミズ錠がすでに販売されていますが、GDF-15とは作用機序が異なります。
【もう一つの顔】GDF-15と「免疫のブレーキ」
GDF-15の恐ろしさは、悪液質だけではありません。近年、免疫との関係が注目されています。
私たちの体には、「T細胞」という、がん細胞を見つけて攻撃する優秀な免疫細胞(兵隊)がいます。 しかし、膵臓がんの周囲は、GDF-15が非常に高濃度な“バリア”で覆われていることがわかってきました。
このGDF-15が、T細胞ががん組織に侵入するのを妨害したり、T細胞の攻撃力を弱めたりするのです。
T細胞が入れず、免疫が効かないがんを「コールドな腫瘍(Cold Tumor)」と呼びます(膵臓がんはその代表です)。GDF-15は、がんを「コールド」に保つための、がん細胞にとっての“用心棒”のような役割を果たしているのかもしれません。
希望の新薬「抗GDF-15抗体薬」の一石二鳥
そこで登場するのが「抗GDF-15抗体薬」です。 この新薬は、血液中やがんの周囲にあるGDF-15を「抗体」で捕まえ、無力化します。
これにより、まさに「一石二鳥」とも言える2つの大きな効果が期待されています。
効果①:「守り」の改善(悪液質を止める)
GDF-15が脳に届かなくなれば、食欲不振や吐き気は改善します。患者さんが再び「食べられる」ようになり、体重減少を食い止め、体力を維持できる。
これは、つらい抗がん剤治療を乗り越えるための「土台」を守ることに直結します。
効果②:「攻め」の強化(免疫のブレーキを外す)
がんの周囲のGDF-15バリアが解除されれば、T細胞ががん組織に侵入しやすくなります(「コールド」から「ホット」へ)。
これにより、オプジーボなどに代表される「免疫チェックポイント阻害薬」が劇的に効きやすくなるのではないか、と世界中で研究が進められています。悪液質を改善する「支持療法」でありながら、免疫療法の効果を高める「積極的治療」にもなり得るのです。
まとめと今後の展望
今回のポイントを整理します。
- 妊娠悪阻とがん悪液質には「GDF-15」という共通点があった。
- GDF-15は「食欲低下」と「免疫抑制」の二重の悪さをする。
- 「抗GDF-15抗体薬」は、この両方を同時にブロックする可能性がある。
がん治療は、がん細胞を直接叩くだけでなく、「患者さんが治療に耐えられる体」をいかに維持するか、そして「患者さん自身の免疫」をいかに活かすかという戦いでもあります。
つわりをヒントに開発された薬が、難治がんである膵臓がん患者さんの「守り」と「攻め」の両方を支える。そんな未来が、すぐそこまで来ているのかもしれません。
実は、2025年10月29日から、この抗GDF-15抗体薬の臨床試験が日本でも始まりました!
















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