
「母も亡くなったし、もう死んでもいい」~ある遺族の言葉~

濱元誠栄院長こんにちは、銀座みやこクリニック院長の濱元です。
日々、多くの患者さんやご家族と向き合っていると、言葉を失うような瞬間に立ち会うことがあります。
先日、ある患者さんのご遺族からお手紙をいただきました。 その方(Aさんとします)は、先日お母様を胃がんで亡くされました。抗がん剤の副作用に耐えながら懸命に生き抜かれたお母様の最期を、Aさんはずっと見守っておられました。
手紙にはこう綴られていました。
「胃がんにさえならなければ、まだまだ長生きできたんじゃないかと、母もきっとそう思っていたでしょうし、私も本当に悔しいです。」
「あまり仲の良くない母子でしたけど、最後の1か月は仕事を休んで自宅でみていました。お互い口には出さないけど、少しは通じ合えたのかな。亡くなる直前に『ありがとう』と言ってくれたんです。」
お母様への深い愛情と、あまりにも大きな喪失感が伝わってきて、胸が締め付けられました。
しかし、Aさんを襲った試練は、それだけではありませんでした。
なんと、お母様を看取るまさにその最中に、Aさんご自身の乳がんが発覚したというのです。
「母の短い看取りの間に自分のがんも発覚するなんて、こんなこともあるんだなと…なんか、笑うしかないという感じです。」
「母の死が辛すぎて、自分のことについてショックを感じる神経が麻痺している気がします。」
あまりにも過酷な現実が、立て続けにAさんを襲いました。 ご自身の病気について、「予後は悪くないだろうと信じて、治療を淡々と進めるしかない」と気丈に書かれていましたが、その心のうちはどれほどだったかと思います。
「手遅れになって死なせてしまった」
お手紙には、Aさんの痛切な後悔も記されていました。 Aさんご自身は医療従事者でいらっしゃいます。
「私が医療関係なのに、母を検査を受けに行く気持ちにさせられず、手遅れになって死なせてしまったと、今、辛くて仕方ありません。」
医療従事者であるからこそ、知識があるからこそ、「あの時こうしていれば」という後悔は、普通の人以上にAさんご自身を苛んでいるのでしょう。
お手紙の最後には、 「母も亡くなったし、がんにもなったし、もう死んでもいいや」と書かれていました。
これはいけない。そう思い、私はすぐにAさんに電話をかけました。
「もしもし、Aさん。お手紙、読ませていただきました。」
電話の向こうのAさんは、涙声でした。
『母が亡くなってから、ひとりになると涙があふれてきてしまうんです…』と。
「お母様のこと、本当に残念でした。そして、Aさんご自身のお体のこと…あまりにも辛いことが重なりましたね」
「医療従事者として、お母様に検査をすすめ続けたこと。それは、Aさんがお母様を深く愛していればこその行動です。結果としてお母様が検査を受けられなかったのは、Aさんのせいでは決してない」
「『手遅れにして死なせた』なんて、絶対に思わないでください。お母様も、そんなこと微塵も望んでいません。きっと、最期まで寄り添ってくれたAさんに、心から感謝されているはずです」
そして、一番伝えたかったことを話しました。
「『もう死んでもいい』…今、そう思ってしまうお気持ちは、痛いほどわかります。でも、お母様は、ご自身の命と引き換えのようにして、Aさんに『ご自身の病気に早く気づく』という機会を与えてくださったのかもしれません」
「お母様のため、なんて言うつもりはありません。Aさんご自身の、Aさんだけの大切な命です。でも、お母様が繋いでくれた命を、今Aさんがご自身で手放すようなことを、お母様は決して望んでいません」
「今は、ただご自身の治療のことだけを考えてください。淡々と進める。そのお気持ちで大丈夫です。私たちは、Aさんの治療を全力でサポートしますから」
Aさんはずっと泣いておられましたが、『少しは前向きになれた』とおっしゃってくださいました。
そして、『落ち着いたら、私の乳がんの相談をさせてください』と。
深い喪失の底にいる人に、どんな言葉が届くのか…正解はいつも分かりません。
Aさんがお母様に寄り添ったように、今度は私たちがAさんに寄り添う番です。
お母様から受け取った命のバトンを、Aさんがしっかりと握りしめて、ご自身の道を歩き出せるように。 私たちは、その伴走者であり続けたいと強く思っています。











-プレゼンテーション-300x169.jpg)






コメント