
【腹膜播種】日本初のPIPAC治療開始!霧状の抗がん剤はどんな治療?

濱元誠栄院長こんにちは、銀座みやこクリニック院長の濱元です。
2026年8月12日、日本の腹膜播種治療にとって大きな一歩となる治療が行われました。
国立国際医療センター(旧・国立国際医療研究センター病院)の腹膜センターで、日本で初めてPIPAC(加圧腹腔内エアロゾル化学療法)が2名の患者さんに実施されました。
National University of SingaporeのJimmy So先生を招き、大腸がん腹膜播種に対する臨床試験として行われたものです。
PIPACとは、
Pressurized Intraperitoneal Aerosol Chemotherapy
=加圧腹腔内エアロゾル化学療法
の略です。
簡単に言うと、
「抗がん剤を霧状にして、お腹の中に直接噴霧する治療」
です。
腹膜播種に対しては、これまでも全身化学療法だけでなく、腹腔内化学療法、腹膜切除、HIPECなどさまざまな治療が研究されてきました。
今回のPIPACの前に、まずこの病院に設置された「腹膜センター」と、これまで行われてきたHIPECについて解説します。
日本では珍しい「腹膜」を専門に診るセンター
国立国際医療センターには、2026年1月1日に腹膜センター(Peritoneal Malignancy Center)が設立されました。
対象となるのは、
- 大腸がんなどの消化器がんの腹膜播種
- 卵巣がんの腹膜播種
- 腹膜偽粘液腫
- 腹膜悪性中皮腫
などです。
腹膜播種だけを専門的に扱うセンターは、日本ではまだ珍しい存在です。
腹膜播種というと、
「手術はできない。抗がん剤も効きにくい」
というイメージが医療者の中にあります。
効きにくいとは言っても、多くの患者さんでは全身化学療法(抗がん剤治療)が治療の中心になります。
しかし腹膜に病変が限局していて、病変をすべて切除できそうな患者さんでは、完全減量手術(CRS:Cytoreductive Surgery)という非常に積極的な手術が、一部の病院で検討されることがあります。
国立国際医療センターはそのうちの一つです。
実はHIPECでは、日本でもかなり長い経験がある
腹膜センターができたのは2026年ですが、腹膜播種治療そのものはずっと以前から行われていました。
同センターの沿革を見ると、
2010年3月
腹膜偽粘液腫にCRS+HIPECを初めて実施
2010年9月
大腸がん腹膜播種にCRS+HIPECを初めて実施
そして、
2024年5月にはCRS+HIPECが500例に到達
しています。(東京都健康安全研究センター)
2010~2025年の実績では、完全減量手術±HIPECは合計545例。
そのうちCRS+HIPECは460例に行われています。(東京都健康安全研究センター)
日本で腹膜播種に対する外科治療を長く続けてきた施設の一つだからこそ、今回のPIPAC導入にもつながったのです。
HIPECとは何か?
ここで、HIPECについて少し解説します。
HIPEC(ハイペック)
=術中腹腔内温熱化学療法
です。
HIPECでは、まず手術で目に見える腹膜播種を可能な限り切除します。
これをCRS(完全減量手術)と言います。
しかし、いくら丁寧に手術をしても、肉眼では見えないがん細胞まで完全に取り切れるとは限りません。
そこで手術の最後に、
抗がん剤を溶かした温かい液体を腹腔内に循環させる
のがHIPECです。
CRS+HIPECは
CRS
→ 目に見えるがんを切除
HIPEC
→ 残っているかもしれない微小ながん細胞を腹腔内から熱と抗がん剤で攻撃
という考え方です。
抗がん剤の直接腹腔内に加えて、41~43℃の温水による死滅を狙います。
HIPECが適応となる腹膜播種とは?
HIPECは、腹膜播種があれば誰にでも行える治療ではありません。
そもそもHIPECは、腹腔内に散らばった大きながんを抗がん剤だけで消してしまう治療ではなく、基本的にはCRS(腹膜切除・腫瘍減量手術)によって肉眼的ながんをできるだけ取り除いたあと、腹腔内に残っている可能性のある微小ながん細胞を温めた抗がん剤で叩く治療です。
したがって、
「何のがんか」
だけではなく、
- 腹膜播種がどの程度広がっているか
- 腹膜以外に遠隔転移がないか
- CRSによって肉眼的病変を完全、あるいはほぼ完全に切除できるか
- 大きな手術に耐えられる全身状態か
といった条件によって適応が大きく変わります。
また、がんの種類によってHIPECのエビデンスがまったく違います。
腹膜偽粘液腫
HIPECが最も確立している疾患の一つが、腹膜偽粘液腫です。
腹膜偽粘液腫の多くは、虫垂にできた粘液性腫瘍が腹腔内に広がることで起こります。
この疾患では、
CRS+HIPEC
が国際的にも中心的な治療戦略となっています。
腹膜悪性中皮腫
もう一つ、CRS+HIPECが重要な位置を占めているのが腹膜悪性中皮腫です。
腹膜悪性中皮腫は、腹膜から発生する非常にまれながんです。
切除可能で全身状態が良好な患者さんでは、
完全なCRS+HIPEC
が国際的に推奨される治療戦略となっています。
卵巣がん
意外と知られていませんが、現在HIPECのエビデンスが比較的しっかりしているのが卵巣がんです。
その根拠となったのが、オランダなどで行われた第III相試験OVHIPEC-1試験です。
対象となったのは、進行卵巣がんの中でも、Stage IIIで、術前にカルボプラチン+パクリタキセルによる化学療法を行い、病勢が進行しなかった患者さんです。
245人を、
interval CRSのみ
と
interval CRS+HIPEC
に分けて比較しました。
10年以上追跡した最終解析では、
無増悪生存期間中央値
CRSのみ 10.7か月
CRS+HIPEC 14.3か月
そして、
全生存期間中央値
CRSのみ 33.3か月
CRS+HIPEC 44.9か月
となり、HIPECを追加した群で生存期間の延長が認められました。
この結果を受け、2025年のASCOガイドラインでも、
Stage IIIの上皮性卵巣がんで、術前化学療法後にinterval cytoreductive surgeryを行う患者のうち、全身状態が良好で腎機能が保たれている場合には、HIPECを選択肢として提示してよい
とされています。
大腸がん
一方、大腸がん腹膜播種に関しては、HIPECの位置づけが大きく変わりました。
そのきっかけとなったのが、フランスで行われた大規模な第III相試験PRODIGE 7試験です。
完全またはほぼ完全な腫瘍切除が可能だった大腸がん腹膜播種265人を、
CRSのみ
と
CRS+HIPEC
に分けて比較しました。
結果は、
全生存期間中央値
CRS+HIPEC 41.7か月
CRSのみ 41.2か月
で、ほとんど差がありませんでした。
さらに手術60日後までのGrade 3以上の有害事象は、
CRS+HIPEC 26%
CRSのみ 15%
と、HIPECを追加した群で多くなっていました。
つまりこの試験では、
「完全に切除できる患者さんでは、CRSそのものが非常に重要であり、HIPECを追加しても明確な生存利益は示されなかった」
という結果になったわけです。
この結果などを受け、国立国際医療センターでは現在、大腸がん腹膜播種に対してはHIPECを併用せず、適応がある患者さんではCRS単独で完全切除を目指す方針としています。
胃がん
胃がんは腹膜播種を起こしやすいがんの一つなので、
「胃がん腹膜播種にもHIPECが有効なのではないか」
という研究が長く行われています。
しかし現時点では、胃がん腹膜播種に対するCRS+HIPECは、腹膜偽粘液腫のように確立された標準治療とは言えません。
HIPECは「腹膜播種なら何でも」という治療ではない
このように、一口にHIPECといっても、その位置づけはがんによってかなり違います。
比較的確立している
腹膜偽粘液腫
腹膜悪性中皮腫
特定の条件で比較的強いエビデンスがある
Stage III卵巣がんのinterval CRSのさい
患者選択やHIPECの方法について議論が続いている
大腸がん腹膜播種
まだ標準治療とは言いにくい
胃がん腹膜播種
というのが、現在の大まかな整理です。
そしてもう一つ重要なのは、HIPECの成績を左右する最大の要素の一つが、
「CRSでどこまでがんを取り切れるか」
だということです。
腹膜播種が広範囲に存在し、CRSを行っても大量の腫瘍が残ってしまう場合に、HIPECだけでそれを消してしまうことは期待できません。
したがって、
「腹膜播種があるからHIPEC」
ではなく、
「がん種、腹膜播種の広がり、腹膜外転移の有無、CRSによる完全切除の可能性を総合的に判断したうえで、HIPECを追加する意味があるかを考える」
というのが、現在のHIPECの考え方です。
では、なぜ今PIPACなのか?
ここで今回のPIPACにつながります。
CRSは、腹膜播種をすべて切除できる患者さんには非常に重要な治療ですが、当然ながら、
腹膜播種が広範囲に広がっていて切除できない患者さん
もいます。
そうした患者さんでは、治療の中心は全身化学療法になります。
しかし腹膜播種は、全身化学療法だけでは治療が難しいことがあります。
そこで、
「手術で取り切れない腹膜播種に対して、腹腔内から直接抗がん剤を届けられないか」
という発想から開発されてきたのがPIPACです。
HIPECとPIPACを比べてみます。
| HIPEC | PIPAC | |
|---|---|---|
| 抗がん剤 | 温めた液体 | 細かな霧 |
| 投与方法 | 腹腔内を灌流 | 腹腔内へ噴霧 |
| 手術 | 大きなCRSと組み合わせることが多い | 腹腔鏡で実施 |
| 温熱 | あり | 基本的になし |
| 圧力 | 通常の灌流 | 加圧状態を利用 |
| 繰り返し | 通常は手術時 | 複数回実施可能 |
PIPACでは腹腔鏡を使い、腹腔内を二酸化炭素で膨らませます。
そこへ特殊なノズルを使って、抗がん剤を非常に細かなエアロゾルとして噴霧します。
霧状にすることで広い腹膜表面に薬剤を届け、さらに腹腔内の圧力を利用して組織への薬剤浸透を高めよう
という発想です。
PIPAC臨床試験の適応患者は?
今回始まった臨床研究の対象患者さんの条件を見てみます。
この研究では、
腹膜以外に遠隔転移がないこと
切除可能な腹膜転移は対象外
となっています。
さらに、FOLFOXやFOLFIRIなどの標準的な全身化学療法を受け、それが効かなくなった、あるいは継続できなくなった患者さんを対象として、3次治療としてPIPACを行う設計です。
つまり、
「手術できる人のCRSやHIPECの代わりに行う治療」ではなく、手術による完全切除が難しく、標準的な全身化学療法も効きにくくなった腹膜播種に、新たな局所治療を加えられないか
という研究です。
PIPACのもう一つのメリットとは?
PIPACにはもう一つ、他にはない特徴があります。
治療のたびに腹腔鏡で腹腔内を見ることができます。
CTでは評価しにくい小さな腹膜播種も、直接確認できます。
単に「抗がん剤をお腹に入れる」だけではなく、
治療しながら腹膜播種そのものを直接観察できる
という点も、PIPACの興味深いところです。
まとめ
2026年8月、日本で初めてPIPACが実施されました。
PIPACは、抗がん剤を霧状にして腹腔内へ届ける新しい治療法です。腹膜播種に対しては、全身化学療法だけでなく、腹腔内化学療法、CRS+HIPEC、そしてPIPACと、治療の選択肢が少しずつ広がっています。
ただし、PIPACはまだ臨床研究段階であり、有効性が確立した治療ではありません。
それでも、長年CRSやHIPECに取り組んできた国立国際医療センターの腹膜センターでPIPACが始まったことは、日本の腹膜播種治療における大きな一歩です。
今後の国内データに注目したいと思います














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